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桜田門を通るとき

皇居を取り巻く内堀通りを行くと、警視庁の所に管内で起きた昨日の交通事故による死亡者とけが人の数が電工掲示板で表示されている。

昼間はさほど目立たないのだけれど、夜になると黄色いデジタルの文字が暗がりのなかで浮き立って見えるのだ。

帰り際に見た数字は「死亡1」。

20代の男性が停まっているトラックに衝突し、後続のトラックにひかれて亡くなったのだった。

日曜日の午前。彼は何処へ行こうとしていたのだろう。待っている誰かのもとに急いでいたのだろうか。

いろいろと考えてしまうのは、昨日の都内唯一の死亡事故の当事者がバイク乗りであり、事故現場が俺もバイクでよく通る、よく知った道だからだ。

もしかしたら、事故に遭っていたのは自分だったかもしれない。

都内をバイクで走るのは、たとえこちらが安全運転をしていても命がけになってしまう。タクシーやトラックの運転手はプロらしい怠慢で気まぐれな進路変更やブレーキングを頻繁に行う。慣れがそうさせるのか、急発進したかと思うと、制限速度をはるかに下回るスピードで走り、やがて目標の配達先や客を見つけると猛スピードに加えて急なハンドリングで路肩に寄せ、急停車する。

客を他のタクシーに取られないためだったり、駐車場所を確保したかったり、少しでも前に進める車線に割り込みたかったりと、ほんの少し得するために行う動作だ。知性ではなく反射神経で行う、危険な行為だ。

事故現場は駐車禁止のはずで、そこにはトラックが停まっていた。

バイクの青年は、よそ見をしていたのだろうか、何かを避けたのだろうか、結果としてトラックに衝突した。彼の後ろを走っていたのは、危険を回避できないほど、スピードを出していたか、車間をつめていたか、はたまたよそ見をしていたトラック運転手だった。

不幸がいくつか重なっているようにも見えるが、実際にバイクで東京の道を走っていると、衝突以外はよくある風景だとわかる。

「死亡1」の表示が伝えているのは、よくある風景の中で、ひとつ歯車が狂っただけで人は死ぬのだ、ということだ。

桜田門を過ぎて、隅田川を渡り、片側二車線の道を東に向かう。バックミラーの中で車のライトがみるみる大きくなっていく。

習志野ナンバーの白の軽ワゴンが俺の走っている走行車線へ入り、内側から追い越し車線にいる車を追い越そうとしているのだった。

バイクを左よせてかわし、軽ワゴンをやり過ごしたが、法定速度の2倍、時速100キロメートル以上出していたのは明らかだった。

「死亡1」

あの軽ワゴンが、明日、桜田門の表示を光らせないといいのだけれど。

そして、俺もいつにもまして気をつけて走らなければと思い直した。