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父なる神の杯を飲んだことによって☆

ハレルヤ!

皆さまおはようございます(^-^)

今日は午前中より家のインターフォンの切り替え工事の立ち会いのため、休みをずらしてます。

さて、今日もまずは御言葉から分かち合いさせていただきます。

■ディボーション・ ヨハネ18章1節〜11節

■御言葉10節〜11節

●シモンぺテロは、剣を持っていたが、それを抜き、大祭司のしもべを撃ち、右の耳を切り落とした。そのしもべはマルコスであった。(10節)

●そこで、イエスはぺテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父がわたしにくださった杯を、どうして飲まずにいられよう。」(11節)

■背景

今日はイエス様が弟子であるユダに裏切られ、逮捕されるシーンを見て行きます。

ユダは、 イエス様と弟子らが度々会合している場所に必ず来るだろうと予測して、

●一隊の兵士と祭司長、パリサイ人たちから送られた役人を引き連れ、灯火とたいまつと武器を持って来ました。

「一隊」とは解説によりますと、通常六百人の歩兵」とのことです。

今回のケースは、12節にて、「千人隊長」が出て来ているので、「千人規模の歩兵」を引き連れていることになりますか。

ところが、

●イエスはご自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられた。(4節)

というわけで、逃げも隠れもせず、堂々と、「だれを捜すのか!」と彼らの前に出て行きました。

彼らは、「ナザレ人のイエスを」と答えると、イエス様は「それはわたしです」と答えます。

ユダが千人隊まで動員し、暗闇の中、洞穴などに隠れられては大変だということで灯火とたいまつを持つなどして、用意周到に準備して計画しているのに、こうも簡単に目的を果たしている。

●人の考える計画は神の前では無意味であることが分かります。

また、彼らがイエス様の「それがわたしです」という言葉を聞いて、「後ずさり地に倒れて」います。

この言葉は「神の御霊の与える剣であるの神のことば」(エペソ6章17節)であり、神の権威に満ち満ちていたのでしょう。

そうしたやり取りの中、イエス様は彼らに弟子たちを逃がすように要求し、これを持って、旧約聖書の預言が成就しています。

■御言葉より

ここで登場したのがぺテロ。

イエス様が「決肉の戦いあっては無抵抗」に、「霊の武器を持って戦っていた」のに、ぺテロは剣を用いて「決肉の戦い」に持って行こうとしました。

しかし、イエス様はそれをすぐやめさせました。

■エペソ6章10節〜11節

●悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神の武具を身に着けなさい。(10節)

●私たちの格闘は決肉に対するものでなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(11節)

とありますように、

これは、「霊の神と肉のサタンとの戦い」であるからです。

この戦いにおいての勝利条件は相手の土俵に乗って戦わないことです。

●御霊の土俵で戦えば神の勝利、肉の土俵で戦えばサタンの勝利となる。

私たち人類の歴史は、あらゆる領域で当たり前にサタンの土俵に乗ってサタンの勝利に加担して来ました…。

●もしここで、イエス様がぺテロのようにやったとしても、勝利したでしょうが、それでは「全人類の救い」にはなりません。

ですから、

これが父なる神様が「イエス様に与え飲ませようとした杯」の御心であります。

神であり、人となられたイエス様が、これを飲んだから「全人類の救いという希望」があるのです。

■今日の御言葉

●父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。( ルカ22章42節 )

これから神様のみこころのご計画が進んで行くためには、

イエス様の杯を飲んで契約を交わしたクリスチャンたちが、まずひとつひとつのことに肉の土俵に載らず、主の勝利を勝ち取って行くことにあるなと語られます。

では、今日はこの辺で(^-^)

今週末も皆さまの上に主の恵みのシャワーが降り注ぎますように☆