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多くて少ない【本】達

学生時代に使っていた教科書や参考にした本。

小中高はともかく、大学生時代に手にした本はほとんど今でも捨てずに保管している。

その後に増えた本も勿論あるのだが、眺めているうちは「まだこんなにある」だったものが、

老いらくのナンとやらで読み直し始めた途端「?これしかない?」に変わりつつある。

欲深と言えばそれまでだが、満足を得るにはまだ買い足しが必要らしい。

目下の興味対象の数学で言えば、Legendre関数やBessel関数、β関数、Γ関数などいわゆる特殊関数についてちょいと調べたいと思ったら、自宅を出て図書館に行かねばならない。

場合によっては最寄りの図書館すらも心もとない。

本の虫の足腰が鍛えられる典型的なパターン、なのだろうか?

それでも今は昔に比べると便利になった。

英語をいとわなければ、Kindleでアレコレ入手可能だし、昔はハードカバーしかなかった専門書が

最近では文庫で読める。まさかアルティン本が文庫で手に入るとは。

にもかかわらず、なのか、それ故に、なのか、ともあれブツ(本)欲はいやが上にも上がっていく。

一方で我が家の本棚はすでに限界を超えており、本の御柱がここかしこにニョキニョキして

いる。

どうも人間の幸福には一定以下の許容量があるらしい。

そこに達していないのも、そこを溢れてしまうことも、いずれも幸福にはならないようだ。

溢れるか否かのギリギリの綱渡り。

そして辛うじて安定が保たれるそこでは、色々な「化学変化」が起こるらしい。

貪欲な本読みが次に取る手は、読んだもののメモの収集だ。

数年前に購入したMoleskinの手帳が息を吹き返した。今はあちらこちらで読み拾った

定理や証明の寄せ集め先になっている。

メモにノート、というのは普通のあり方だが、普通のノートでは項目の関連が希薄になる。

関連を自由に入れ替えるためには、紙はバラバラのほうが良い。

結局だいがくが行きついたのは、A4のコピー用紙だ。これだとノートに比べてはるかに

組み合わせの自由度が高く、しかもノートより大夫安い。保管用と計算用といずれにも使えて

便利なことこの上ない。

散々書き連ねたあとはファイリングすればよい。

これはどうかすると、学生時代より楽しい。

楽しいながらも、少ないなぁ、本…